五十年前に関東同窓会が発足した翌年に、我々95期は静高生となった。新一年生にとって、静高の授業は大きなカルチャーショックだった。 「覚えるため」のものではなく「自分の頭で考える」ためのものだったからである。 それがどんなものだったのかをまず振り返ってみよう。
関東同窓会報第93号(2022年5月発行)では「特集五十年後に届くメッセージ」として故鈴木明徴先生(以下、メイチョウ先生)の随筆集 『「週刊メイチョウ」~高校生と共に~』を取り上げた。 その際に本文では割愛せざるを得なかった「ある日の授業から」という文章がある。 メイチョウ先生が、静高での授業風景をコメディタッチに描写した味わい深い文章である。
その日の授業は、同僚の山梨先生の体育の直後。疲れてつい居眠りをする学生たちに「メイチョウ節」が炸裂する。
「オメッチの食べている寿司の上にのっているものはどこで獲れるか知っているか?」
エビは台湾、イクラは北洋、マグロは「登呂(!)」ではなく南大西洋。 タコはアフリカのモーリタニアで、醤油の原料の大豆は中国。 米だってカリフォルニア米。「卵は国産かもしれん、しかし日本のニワトリが食っている飼料は全部アメリカからの輸入だ。 お前達は、卵焼きという名のアメリカの農産物を食っているんだ。」
そして授業は、沿岸漁業の従事者は漁業従事者全体の70%を占めるが、その水揚げ量は全体の20%に過ぎないこと、 遠洋漁業中心の当時の日本の漁業に対する捕鯨規制強化の動きや国際的な漁業規制の動きについて触れていく。
とりわけ「ペルーは二百海里という領海を主張」の一文には目を惹かれる。 ペルーは当時、各国の中で最大となる領海範囲を主張していた。 それは、ペルー沖二百海里付近のフンボルト海流が、アンチョビの世界有数の漁場であったという地理的・経済的事情があったためとされる。 その後、国連海洋法条約の排他的経済水域(EEZ)が特段の科学的根拠無しに二百海里になった事情、EEZ導入に日本が最後まで抵抗した背景などは、すべて五十余年前の 静高の授業に織り込まれていた事になる(日本は1996年に国連海洋法条約を批准)。
私事だが、私は三年前に食事パンとスィーツの店「まどのパン」を開業した。 国産材料にこだわりたいとの家人の意向で、材料についていろいろ調べるうちにメイチョウ先生の「ある日の授業から」が何度も思い起こされた。 食料自給率はカロリーベースで約38%だが、小麦のそれは約15%。特にパン用小麦は数%と言われる。 塩は豪州やメキシコの天日塩湖塩を輸入して日本の海水に溶かし、煮詰めて結晶させて製造するものが大半である。 小麦・天然酵母・塩・甜菜糖など、国産の材料だけで作ろうとするとかなりのコスト高となる。
しかし、国産の材料で作るパン・スウィーツには高価格という難点を上回る長所がある。日本の農産物は「美味い」のである。 また産地に近いという事は、新鮮であるだけでなく、SDGsでもエネルギー消費やCO2排出量で取り上げられている「フードマイレージ」の点でも メリットがある。 何よりも、消費者が国産の材料を選択する事は、長期的に自分達の食料を確保する基礎である。 コロナ禍における世界的な物流の停滞、コロナ後の世界的な食糧・資源争奪戦と原油高・円安による「買負け」。 小麦など一部の品目では、味や品質に注文の多い日本向けの生産は敬遠されているとも報道されている。 これまでの「欲しい物は世界中から取り寄せる」経済は、「強い円」があってこそ成り立っていたのだと痛感させられる。 先に引いたメイチョウ先生の言葉を借りれば、「オメッチの食べているハンバーガーの材料はどこで作られるか知っているか?」という事になる。
小麦は米と違って生産者と消費者の間に製粉業者や製パン業者が不可欠である。 それぞれのプレイヤーが国産小麦を選択しなければ、生産者の努力は消費者には届かない。 「まどのパン」の名は、内装費節約のために窓から販売しているという理由だけでなく、 第一義的には「生産者と消費者をつなぐ『窓』のような存在でありたい」という思いの表現である。

現時点では個人商店の蟷螂の斧だが、官公庁や教育現場、大企業で働く同窓生の皆さんが自分にできる事をしていただければ、 五十年前のメイチョウ先生の「授業」は無駄にはならない。 会報第93号の上記特集では、85期の小梁吉章さんが「ぼくは先生から、学理は現実の中にあることを学んだ」と書かれている。 私もその事を忘れず、今日もイベントで声を張ってパンとシフォンケーキを売っている。 「自給率を高める事は決して難しくはありません! 国産の農産物を皆で食べればいいんです。」― 95期の演劇部員の皆さんが屋上の両端に分かれて発声練習に励んでいた事を思い出しながら。
