関東同窓会50周年記念企画として、関東同窓会報の記事1,797件の分析を行いました。題して、「関東同窓会報を紐解く」。
分析においては、関東同窓会報の記事1,797件(編集後記等を除く)をすべてデータベース化し、2025年7月5日の総会・懇親会でご披露しました。
なお、データ集計は全て一人で行っており、十分な検証がなされたとも言い難いため、その正確性を完全に保証できるものではない旨をご了承頂ければ幸いです。
同期情報
創刊号には42期から76期まで、全部で24学年分の「同期情報」が掲載されました。 実は創刊号が最も同期情報の多い会報となり、最近の会報で同期情報を見る機会はほとんどなくなりました。 最も投稿が多かったのは64期。 同期会の他に「同期ゴルフ会」も毎年のように開催されていましたので、同期情報も自ずと倍増したものでしょう。
期別・年齢別投稿
一番古かったのは池田錫氏(23期)の「ベレ帽のすすめ」(2号、1976年)。 「ベレ帽の効用は、被って軽く、禿や白髪をかくし、而も、頭を大切に保護してくれるにある。」「ベレ帽を被ったままでも何の失礼にも値しない」と、その効能を大いに勧める、誠に微笑ましい文章です。 会報刊行年と期から推測した「みなし年齢」による最高齢投稿は倉澤栄吉氏(42期)の「西沢君を偲ぶ」(54号、2002年)と大石恒夫氏(61期)の「俳句に憑かれて」(89号、2020年)で、ともにみなし年齢94歳(大石氏は記事中でご自身を91歳とされています。 原稿執筆時と掲載時との差と推察します)。いやいやお達者です。 ベレ帽も脱帽です。
個人別投稿
最も投稿が多かったのは、原崎郁平氏(51期)でした。原崎氏はシリーズ投稿「静岡の万葉を歩く(1)~(37)」の連載が群を抜いています。 30号(1990年)から66号(2008年)まで、一度も休むことなく投稿を続けられました。そして、最終投稿となった66号に続く67号には原崎氏ご逝去の報がひっそりと。 命ある限り、静岡県内に点在する万葉歌碑を関東同窓会員に伝え続けたそのパワーにはひたすら頭が下がります。
なお、浦田彰氏(71期)の「たかが同窓会、されど同窓会(通算29回)」と、松永啓氏(94期)の「岳南球友会情報(通算17回)」は直近の99号でも連載中です。 今後の記録の伸びに期待したいところです。
各種行事
会報には卒業18年目の会や卒業26年目の会、古書コミや異業種交流会、新春のつどいなどの各種行事に係る記事も多数掲載されています。 特筆すべきは「江の島会」。 関東同窓会を軽く上回る、70年以上の歴史を有する伝統の江の島会ですが、その素顔は「気楽で何という事もなく楽しい 天下の『江の島会』」(村松直氏(42期)、2号)という評が全てを物語っているのでしょう。 中には麻雀大会のように「やってはみたものの、ルールがばらばらで全く統制が取れなかった」という微笑ましい行事もあったようです。
会報が持つ意味と、これから
会報記事をデータベース化し、分析するという、地道で果てしない作業を続ける中で気付いたことがありました。 最古投稿期(23期)は既にご紹介した通りですが、では最新投稿期はというと、これが137期です。 50年分の会報が、実は100年以上もの歴史を綴っていることに気付いたのは、本企画の取り纏めも最終盤に差し掛かった頃でした。
会報には、かつて学帽をデザインした表紙が付されていました。

8号からは表紙なしとなりますが、実は9号だけは表紙が復活しています。9号の編集後記には、こんな記載がありました。
「…表紙無しの形としたのは台所の事情だろうとのお心遣いで多額の御寄附まで頂き委員一同大感激でした。 それやこれや考へ合はせ、相談の結果、今回は元の表紙付スタイルとなりました。」
この一文に、支え合いながら発展してきた関東同窓会の神髄が現れているのではないでしょうか。 関東同窓会報の全ての記事の中で最も心を動かされたのが、1,797件のデータに含まれない「編集後記」だったというのも、ドラマチックなお話ではありませんか。 これからも「静高」「関東」をキーワードとする情報共有・交流のツールとして、また世代を超えたメッセージを残すツールとして、会報の存在意義は回号を重ねるごとにますます高まっていくことでしょう。 関東同窓会報が存在する意義を見つめ直し、次の50年へ。 50年後の2075年にまたこうして会報を紐解いてくれる人物が現れることを密かに期待しつつ、筆を置きたいと思います。 この文章も、50年後の誰かがきっと読んでくれますよね。
