26. 第35回関東同窓会総会・懇親会開催 (2009.7.3)

by Shizuko kanto almuni — on

平成21年度の関東同窓会総会が、2009年7月3日午後6時より、竹橋のKKRホテルで開催されました。

会長挨拶に続き、本年4月に静高校長に赴任の浅羽浩氏が母校の現況などをふくめ挨拶されました。その中で、仰高(コウコウ・仰の正字は人偏なし)新聞の現況について、「今月で313号となる仰高新聞は、創刊以来63年の歴史のある学生新聞で、昭和30年代40年代は学生運動の盛り上がりを反映した内容となっていたが現在はイベントの紹介などが主になっている。とはいうものの社会の動きに対する関心の深さをうかがわせる記事も多く意識の高さを感じさせるものになっている」とのことでした。

皇居を望むKKRホテル8階会場

総会に続く同窓生による講演会は、地震研究の最前線で国際的に活躍する東京大学生産技術研究所教授の小長井一男氏(87期)にお願いしました。

小長井氏は東京大学卒業後、長岡科学技術大学、米ヒューストン大学を歴任し現在東京大学生産技術研究所教授、専門分野は地震後の復興戦略・構造物の耐震設計・地震時の地盤変形など。氏は大地震が起こるととにかく現地に足を踏み入れる現場主義で、例えば2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震時にも地震後すぐに現地に入り7月18日にはNHK・TVの「クローズアップ現代」に専門家として招かれ地震についての説明をされました。

講演する小長井教授 ・小長井一男氏講演要旨 テーマ 「大地震は対岸の火事ではない」 ー 四川と静岡の類似点を探る ー

(1)はじめに 方丈記の冒頭部分(大福光寺所蔵の巻子本:岩波文庫 新訂「方丈記」より):行く河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、の名文句で始まる方丈記冒頭部分以下に安元三年(1177年)の大火、治承四年(1180年)の辻風(竜巻)、治承四年(1180年)の福原遷都、治承五年(1181年)から六年(1182年)にかけての旱魃、飢饉、疫病、そして元暦二年(1185年)の地震の記述が続く。方丈記の大半が災害の記述に充てられていることをついぞ知らず、冒頭部分を読み返してみて鴨長明の抱いた「無常観」が何であったのか改めて考えさせられる。まずは地震後“絶えず”その形を変えていく地形の話から。

「方丈記」の冒頭部分

(2)地震後に継続する地形変動による災害 2005年のパキスタン・カシミール地震の後、かの地に12回も足を踏み入れることになった。地震断層に沿って現れた崩壊地がじわじわとその形を変えて、人々の生活を脅かすようになったからである。

2005年10月のカシミール地震の崩壊地(Hattian Balla近郊)、地震の2ヵ月後(左)と2009年6月の状況(右)。岩の風化が大きく進み、土砂がその形を急速に変えつつある。

MuzaffarabadのGulshan渓流沿いの建物が カシミール地震後に継続する土石流で徐々に埋没していく様子。

(3)静岡とパキスタンの地形的類似から読み取れること

類似した2つの地形  左:静岡の北に聳える赤石山脈、右:パキスタン・カシミール地方

静岡の背後に聳える赤石山脈は、カシミールで見る地形と酷似している。糸魚川・静岡構造線と中央構造線の2つの大断層群に挟まれて聳え立つ山々、天竜川のようにいったん北に向かって流れ大きく屈曲して南に向かう川筋などもそっくり。宝永四年(1707年)の地震で崩壊したと云われている大谷崩の白いむき出しの斜面は、カシミール地震で現れた白い斜面を髣髴とさせる。

大谷崩の航空写真(Google Map)


大谷崩から南に向かって流れる安倍川には崩壊地からの土砂が大量に堆積し、その結果、下流部で南に細長く伸びる賤機山の尾根の西、安倍川河川敷のほうが、東の麻機低地に比べ50m程も高くなっている。

防災科学技術研究所「静岡県地すべり3Dマップ」より


3Dマップの破線に沿った断面:このサイトで任意断面を確認できる。


中央の細く伸びる尾根が賤機山。安倍川河川敷(左)が麻機低地に比べ、堆積した土砂で50m程度も高い。

(4)静岡の洪水の要因 安倍川に運ばれた土砂は麻機低地より50mも高い河床を形成したのみならず静岡平野に達したところでさらに扇状地状の広がりを見せている。そして、安倍川がその最も高い所を流れている。こうした地形の特徴をあぶりだすように、昭和49年の七夕洪水では、麻機から巴川流域の低地に大量の水が滞留した。

記念誌「大谷川放水路」より

(5)静岡の地震被害の要因 扇状地末端の低地は、昭和10年の静岡直下地震でも大きな被害を受けた。現地に足を踏み入れた寺田寅彦は次のようにその状況を記述している。 「平松から大谷の町へかけて被害の最もひどい区域は通行止で公務以外の見物人の通行を止めていた。救護隊の屯所(とんしょ)なども出来て白衣の天使や警官が往来し何となく物々しい気分が漂っていた。山裾の小川に沿った村落の狭い帯状の地帯だけがひどく損害を受けているのは、特別な地形地質のために生じた地震波の干渉にでもよるのか、ともかくも何か 物理的にはっきりした意味のある現象であろう」 (静岡地震被害見学記より、初載:昭和10年9月「婦人の友」)。

国土地理院が発行する治水地形分類図には静岡平野に大きく広がる安倍川の扇状地が等高線で明確に示されている。青色で示された旧河川は、安倍川の伏流水が扇状地末端近くから湧き上がっていた証左である。昭和10年(1935年)7月11日の静岡地震の被害はこの扇状地末端部、あるいは駿河湾に沿う砂丘背面の高松、西大谷、東大谷、池田、国吉田で甚大であった。数字はこれらの地域での全壊家屋の比率を示す。寺田寅彦の指摘のように帯状に被害が分布しているのがわかる。

(6)帯状に地震被害が分布するのはなぜか 砂丘や扇状地末端の砂の堆積層が地震の揺れで低地に向かってずり下がるところ、あるいは地震断層に沿って地盤が撓む部分に家屋被害が集中するため、このような場所では帯状に被害家屋が分布することが地震被害調査でよく確認される。

小規模な扇状地の末端部に帯状に連なる倒壊家屋(2007年能登半島地震、峠集落にて)。 倒壊した家屋のなす帯の中では道路路面に開口亀裂があり、このあたりの地盤が旧河道に向かってわずかに移動したものと考えられる。帯の中で家屋の柱が変形した基礎から少しばかり外れている状況も確認された。よく見ると、家屋の基礎が地盤のわずかな移動に伴う変形で壊れて、支えているはずの柱をしっかり支えていないものもある。

つまり地盤の「揺れ」のみならず「地盤変形」が地震被害の明暗を分けている。

カシミール、ムザファラバード市北にある断層沿いの撓曲崖上で壊滅的な被害を受けた家屋が“帯”をなし、右手の断層下部の比較的軽微な被害と思われる建物と対照的な状況となっている。(2005年カシミール地震)。

(7)地震時を先取りして帯状の地盤変形が進行している場合がある 帯状の地域では常時から緩慢に変形が進んでいることもある。だから道路補修や埋設管の工事が頻繁に行われる場所と、地震時の被害の帯が重なることも少なくない。

柏崎市内の道路修復工事(2006)位置と2007年中越沖地震での全壊家屋分布図


柏崎市内の道路修復工事(2007)位置と全壊家屋分布図


これらの図をみると、道路補修や埋設管の工事が頻繁に行われる場所と、地震時の被害の帯が重なる状況が分かる。

(8)四川大地震 赤石山脈を挟む2つの大構造線(断層群:糸魚川・静岡構造線と中央構造線)がまとまって動いたことは過去に確認されていないので、私たちの関心はつい想定東海地震、東南海地震などに向きがちである。だから中国四川省の地震で過去に大地震の発生が知られていなかった280kmにもおよぶ断層が動いたことは大きなショックであった。糸魚川・静岡構造線(地上部)は四川地震の断層とほぼ同じ約250kmほどの長さである。対岸の火事と看過できない。

四川地震で280kmにも及ぶ断層が動いたと見られる龍門山断層帯(LongmenShan Fault)

このような大規模な内陸の地震断層による地震の性格と、もたらした災禍の実態を調査するため文部科学省の支援を受け四川地震の災害調査班が結成されたが、中国では外国人の測量行為を大きく制約する法律があり、また関連する省庁も多岐にわたり調査の調整は大変であった。そして心配していたとおり、地震で大きな被害を受けた北川(Beichuan)の街は地震の4ヵ月後の豪雨で発生した土石流で10mを大きく越える厚さの土石で埋もれてしまう。このような地震後も継続する課題は、データの開示、共有、そして経験の伝承の重要性を日中双方の関係者に強く認識させることになった。

四川地震で壊滅的な被害を受けた北川(Beichuan)の時系列写真


四川地震で壊滅的な被害を受けた北川(Beichuan)市内に残った建物(左)は4ヵ月後の豪雨が引き金になった土石流で10mを越える土石に覆われた。

四川やカシミールのイメージが重なる赤石山脈中の土石流被害


9)まとめ 地震被害について次のことを意識しておく必要がある。 ① 地震被害はその瞬間の『揺れ』がクローズアップされるがそれだけではない、『地盤の変形』による被害も大きい。これが帯状の被害分布となって現れる。 ② 大地震の後も地形は変形し続ける。それは土石流被害などの形となって現れる。 ③ 地盤の変形は地震の前から道路の常時補修箇所などの形で緩慢に進行していることがある。 ④ 防災を念頭に置いた地形、地盤情報の共有、開示を進めることが重要である。

(10)終わりに 防災を念頭に置いた地形、地盤情報の共有、開示の動きは世界に先駆けて日本でようやく本格化している。こうした活動に深く関わっていく中で、静岡に生まれ育った体験が大きくものを言っていることをうれしく実感するのである。でもこっそりと告白すれば、過去の文献に地震被害の事例を渉猟する中で、もう少しまじめに高校の古文を勉強していれば、と悔やまれることもあるのである。

専門的な難しい内容をユーモアを交えながら平易に語りかける小長井教授の話に会場の聴衆は引き込まれ聞き入っていました。賤機山を境に西の安倍川のほうが東側に比べて50mも高いということをはじめて知った同窓生も多いのではないかと思います。郷土を防災上の観点からみる必要があることを切実に感じ取ることができた有意義な講演だったと思います。

講演の後は懇親会に移り、ひさしぶりに会った旧友となつかしい話で盛り上がっていました。 懇親会のバックでは「岳南健児青春グラフィティ」と題した映像と音楽が流れていました。これは静岡の本部同窓会総会開催時に、バックグラウンドに使用するため87期の岡部光雄氏が中心となって製作されたものです。

「岳南健児青春グラフィティ」映像の一部


また、懇親会の途中でのアトラクションとして、同窓生では珍しい芸能人84期の高瀬荘一氏が岡本勘太郎氏とのコンビ「ホームラン」として登場。お二人が熟練の話芸で会場を沸かせていました。

写真右が84期の高瀬荘一氏


本年度の総会の運営当番期は87期でした。高橋宏氏はじめ87期同窓生の皆様ありがとうございました。また、浦田副会長、久野副会長をはじめとする「総会を盛上げるプロジェクト」の皆様、総会への同窓会員の勧誘に力添えをいただきありがとうございました。