115. 日経新聞に静高関連紹介記事 (2014.4.1)

by Shizuko kanto almuni — on

日経新聞(3月22日付夕刊)「文学周遊」に三木卓(静高70期)「柴笛と地図」が取り上げられています。

(2014/3/22付 日本経済新聞 夕刊) 三木卓「柴笛と地図」 静岡市 豊三は貧乏な少年だが、見る夢は資産や家柄とは無関係だ

自転車をこぎ出す静高の「岳南健児」。 多くの挑戦と挫折の先には洋々たる未来が広がる(写真 小谷裕美)


静岡市は自転車利用者が多く「自転車王国」といわれると聞き、腑(ふ)に落ちた。この小説では、自転車が印象的な場面で登場するのだ。

静岡市内地図


主人公の高校生、加納豊三が社会科学研究部(社研)の仲間と農村実態調査に出かけたときはブレーキの壊れた自転車に乗って竹やぶに突っ込み、無灯火の自転車に乗って警官に追われたことは革命的な社会運動からの「脱落」を決意する一つの要因となる。

作家で詩人の三木卓さんの自伝的長編である本書は、1950年代初めの県立静岡高校(静高)が舞台。当初は静岡駅から北へ徒歩十数分の駿府城公園内にあったため、静岡城内高校と呼ばれていた。その後、前身である旧制静岡中学のあった場所に建てられた新校舎に移転、53年9月に現在の校名に改称された。

「45年6月の静岡大空襲で旧制静岡中が焼けてしまったので、城内高校の校舎は旧日本陸軍34連隊の兵舎を使っていた」と三木さんの同期生、桜井規順さんは振り返る。小説に登場する梅木のモデルであり、実際に高校時代は新聞部の部長を務めた。

近くには防空壕(ぼうくうごう)が残り、食べ物にも事欠く日々。それでも「政治について議論するなど学生の意識は高かったと思う」と桜井さんは振り返る。

周辺に自転車専用レーンが整備されるなど、様変わりした駿府城公園だが、当時の面影をとどめるものも。それは江戸時代に徳川家康が植えたと伝わる県指定天然記念物「家康手植(てうえ)の蜜柑(みかん)」。小説では豊三がまだ中学生のとき、高校の社研部員から話を聞いた場所として登場する。

静岡高校を訪ねた。社研はなく、そして豊三が社研を辞めた後に入部した文芸部も活動休止中。ただ、社研の前に所属した郷土研究部は、しばらく部員がいない状態が続いたが、数年前から活動を再開していた。

「(在学途中に移った)新築の校舎に下履きのまま入れたところに静高の自由な空気を感じた」と三木さん。その校舎はすでに建て替えられていたが、上履きに履き替えずに入室できるという伝統は変わっていない。

「しっかり物事を考える生徒は今でも多いように思います」と物理を教える三浦俊一教諭は話す。「岳南健児」と呼ばれる静高生の、自転車をこぐ姿が豊三と重なった。

(編集委員 中野稔)

三木卓(1935~)


みき・たく(1935~) 東京生まれ、幼少期を満州(現中国東北部)で過ごす。早大在学中に詩作を始める。67年に詩集「東京午前三時」でH氏賞、70年に詩集「わがキディ・ランド」で高見順賞。その後、小説も書き始め、73年「鶸(ひわ)」で芥川賞。ほかの小説に「馭者(ぎょしゃ)の秋」(平林たい子文学賞)「K」(伊藤整文学賞)など。 2004年刊行の「柴笛(しばぶえ)と地図」は読売文学賞受賞作「裸足(はだし)と貝殻」に続く自伝的長編。満州から静岡に引き揚げ、高校に進んだ主人公の学校生活をつづる。「引き揚げ者の視点から戦後の静岡を書きたかった。前はいかに書くかにこだわったが、この小説はありのままに描いた」と三木さんは振り返る。 (作品の引用は集英社文庫)

三木卓氏については本サイトのリンクページでも紹介しています。