11. 第29回関東同窓会総会・懇親会開催 (2003.7.4)

by Shizuko kanto almuni — on

平成15年度の関東同窓会総会が、7月4日午後6時より、お茶の水の中央大学駿河台記念館にて開催され、数多くの会員が集い旧交をあたためました。

例年5000円の会費を昨年は3000円と大幅に値下げ、また、学生さんには負担にならないよう1000円の学割会費を設定しましたが、今年も引き続き低価格を維持しました。

 平成11年の総会から、各界で活躍中の 同窓生を講師に招聘しお話戴く時間を設け好評を博していますが、シリーズ第5回目となる本年は、「時代屋の女房」で直木賞を受賞されたほか「私、プロレスの味方です」等の多彩な執筆活動で幅広いファンを持つ75期の村松友視氏にスピーチをお願いしました。



村松友視氏(75期)


・村松友視氏講演要旨 (1)ウソとマコトに彩られた生い立ちと青春 自分は「上海仕込みの東京生まれの静岡育ち」。上海に在住していた若くして亡くなった父。その父と母が彼の地で結ばれ東京で生まれたのが自分で、静岡に疎開し清水で育った。

祖父は将来を考慮し、孫である自分を養子とし母は死んだことにし他家に嫁がせた。そして、祖父自身は鎌倉で他の女性と暮らし、自分は戸籍上の母(=祖母)と清水で二人暮らしをすることになった。 (註:祖父とは作家の村松梢風で実家の山を切り売りながら吉原通いをし、その足跡は中国から欧州にまでおよぶという一代の放蕩児でもあり、そのような女性遍歴を描いたのが「女経」という作品。「正伝清水次郎長」「本朝画人伝」など著作多数。旧制静岡中学出身。)



祖父・村松梢風著「女経」

ある時期、祖父と暮らす鎌倉の女性から実母が生きていることを聞き知ってしまったのだが、祖母から真実を聞かされるまでは知らないことにしようと心にきめる。本音と建前、ウソとマコトの間で生きていたのが静高慶大時代でいわば「ど真ん中を見ないように」「ぼんやりとして」すごした青春時代だった。



村松友視氏に真実を告げた「鎌倉のおばさん」

(2)運転中ワイパーを見る人って一体・・・ 普通の人は雨が降り出してワイパーを動かしても、ワイパーがないものとしてその先の視野を見る。ところが自分はワイパーそのものを見てしまう。危なくてしようがないので免許をとるのをやめてしまったのだが、プロレスにしても縄のれんにしても屋台にしても、自分が興味を持つものというのは運転中のワイパーのような、普通の人には本質的でないと思われているようなものが多い。生い立ち以来のウソとマコトの関係がこういったところにも影響しているようだ。

(3)静岡弁はホンネとウソがわかりにくい 「いい天気ですね」と問えば「きのうも晴れればいいいっヶだヨ」となにもきのうのことを持ち出さなくてもというところだが、ストレートに言わないシャイな気質文化のあらわれ。このような成熟した文化が情報化の波にのまれて失われていくのは惜しい。



村松友視著「だけん人はいいだよ」(静岡新聞出版局)

(4)「高齢者」と「老人」 ウソで身を固めたような人もどうかと思うし、かといって「真実だけ」というのもつまらない。ウソとホントをうまく身にまとっている人が魅力的だ。 このような魅力があるのは実は「老人」なのだ。これは単なる「高齢者」とは違う。これから「高齢者」はふえるが「老人」は減る。 「老人」は長い年月を生きてきた。 そのあいだにいろいろなマイナスを受け止めてきたのだが、そのマイナスがプラスに転化し結晶化したのが「老人」のすばらしさ。奥深くて重みのある世界。

高齢者が歩いている姿を見て「あの人は何々の会長だ」と言えばと単なる情報になってしまう。歩く姿の全てをありのままで、ウソもホントも丸ごと味わうことが大事。 件の祖母は祖父とのあいだのいろいろなマイナスを背負って生きてきたに違いないが、「りんごは皮と身のあいだに栄養があるんだよ」といってその当時のごちそうであるりんごを食べさせてくれたが、まさにそんな「丸ごと味わう」姿勢が大事だし、静岡弁がかもし出すウソとホントの入り交じる、静岡の文化というものの価値がそこにある。

還暦を過ぎたとはとても思えない若々しくダンディな村松さんのスピーチは、興味深く含蓄の厚みあるフレーズがこんこんと湧き出てきてどこまでがホントでどこまでがウソかわからぬままに村松ワールドに惹き込まれていました。

 本年度の総会の運営当番期は81期でした。統括の岡部政之氏仲谷博明氏司会の磯谷和子氏ほか81期同窓生の皆様ごくろうさまでした。